私はどちらかというと、勉強が嫌いだった。
時は小学生。
いつも近所の子供達が自然と集まり、野球やサッカー、缶蹴りやドロケイ、鬼ごっこや秘密基地作り、アニメごっこ、ガンプラ作り、キン消しバトル、ビックリマン集め、誰もが夢中になったファミコン・・・そんな毎日。
たまには自転車をこいで、隣町まで探検してみる。
いつもと違う風景に、多少の不安を覚えながら。
遠くに見える電波塔は、子供の目には東京タワーに見えた。
少しだけ大人に近づいた、そんな実感があった。
今思えば、あの頃は大きな悩みもなく、そして毎日がとても充実していた。
私はどちらかというと、勉強が嫌いだった。
時は中学生。
まわりではスーパーファミコンが流行っていた。
入手困難なスーファミのソフトを、おじいちゃんはタバコ1カートンのワイロで直ぐに買ってきてくれた。
両親が共稼ぎだったので、時間のある時はゲームの攻略に夢中だった。
学校では部活でバレーボールを始めた。
今思えば、
私はどちらかというと、勉強が嫌いだった。
時は高校生。
少し大人になった気分で、カラオケやボーリング場などに遊びに行くようになった。
隣町の友人もでき、行動範囲も広がったことで、なんとなく大人に近づいた気がしていた。
まわりではビールやタバコをやってるヤツもいたが、私はそのあたりは優等生を気取っていた。
いや、それは嘘かな・・・。
家ではオヤジのウイスキーをこっそり飲んでいたし。(あの時は飲んだ分、水で薄めてゴメンナサイ)
私が住む日本には、受験というシステムがあるらしい。
そして高校は、勉強をして受験戦争に勝たないと行けないようだ。
でも私はどちらかというと、勉強が嫌いだった。
だけど高校へは、とりあえず行った。
まわりの殆どの友達が、どこかしらの高校へ行ったからだ。
まわりの友達と同じことをしないと、自分が浮いてしまうと思った。
当然両親も、高校へ行くものだと決めていた。
だから特に違和感なく、高校へ行くことになった。
私が住む日本には、受験というシステムがあるらしい。
そして大学は、受験をして受験戦争に勝たないと行けないようだ。
でも私はどちらかというと、勉強が嫌いだった。
しかしながら一家の長男として生まれた私は、大学へ行かないとダメらしい。
長男は恥ずかしくないよう、大学を出て立派な職場へ就職しないといけないようだ。
安泰な職場に行かないと、この先ものすごく苦労し、一生後悔すると何度も聞かされた。
・・・でも、なぜ???
そして初めての反抗。
私はこっそり専門学校へ願書を提出した。
○○法律専門学校。
初めて自分自身で選んだ道だ。
今思えばくだらないが、当時大好きで再放送を見まくっていた刑事貴族(館ひろし、郷ひろみ、水谷豊)に憧れ、警察官になりたいと思っていた。
大した理由はなかったが、当時は単純に生き方がカッコよく見えた。
合格通知を親に見せた時、一旦は受け入れられたが、でも最終的には反対された。
なぜならば、一家の長男として生まれた私は、大学へ行かないとダメらしい。
長男は恥ずかしくないよう、大学を出て立派な職場へ就職しないといけないようだ。
安泰な職場に行かないと、この先ものすごく苦労し、一生後悔すると何度も聞かされた。
・・・でも、なぜ???
私は残り少ない期間で、嫌いな受験勉強をしなければならなかった。
中学受験とは違い、塾へは行かせてもらえなかった。
でもあの頃はバブル絶頂期。
お金に困っていたわけではないと思う。
でも塾に行かせなかったのは、今思えば親心なのだろうか?
私はどちらかというと、勉強が嫌いだった。
時は浪人生。
大学受験は惨敗した。
というか、あまり勉強していなかったので当然ではあるが。
それでも一家の長男として生まれた私は、大学へ行かないとダメらしい。
だから私は浪人生となった。
古臭いかもしれないが、予備校ブギ(緒方直人、織田裕二、的場浩司)というドラマを思い出した。
大人と子供の間にいる私は思う。
「なぜ好きなことができないのだろうか?」
私が住む日本には、就職試験というシステムがあるらしい。
そして警察官になるためには、公務員試験に合格しないとダメらしい。
でも私はどちらかというと、勉強が嫌いだった。
時は大学生。
警察官になるために、順調に法学部法律学科の単位を取得。
4年生の段階では、授業はゼミだけという脅威の単位取得率だった。
同時に初めてのアルバイトを経験。
結婚式の配膳、スカイラウンジのバーテンダー、コンビニ店員、ラーメン家の厨房、レンタルビデオ店員。
まあ、4年間でいろいろと経験したものだ。
仕事はいかなる場合も真面目に従事した。
勉強と違って使命感ややり甲斐を感じていたのかもしれない。
実際に、上記2社からは「社員にならないか?」と本気で言われた。
でも私のやりたいことは警察官。
だから公務員試験を受けるのだ。
・・・。
なんか違和感がある。
大学に入って、しっかり単位は取得した。
社会勉強でアルバイトも、人並み以上も働きをした。
でも・・そう、私は公務員試験の勉強をしていなかった。
なぜなら・・・、
でも私はどちらかというと、勉強が嫌いだった。
目標としていた職業があった。
そのために必要な法学部という道を選んだ。
でも、最も肝心な公務員試験の勉強を、私は実行していなかった。
最もやらなければならなかったこと。
目標達成のための行動。
そう、私は肝心な行動をしていなかったのだ。
人は時に錯覚する。
どうしても欲しい物がある。
どうしても成し遂げたい事がある。
だからまず計画する。
手にするための手法やルートを調べ、自分なりの段取りを作成する。
段取りが出来上がると、進むための道が明白になる。
でも、それを実行するためには多くの努力や時間、コストがかかる。
だから少し待ってみたりする。
そして、計画ができたことへのお祝いをして安心する。
そして、安心して心に余裕が生まれたので、少しだけ自分にご褒美を与える。
そして、そのご褒美にやり甲斐や使命感が生まれ、もう少し続けようと思う。
この継続の先には目標がないので、つまり失敗もない。
だから安心して平常心で毎日を過ごすことができる。
時を重ねることで、なんとなく『やってる感』が生まれ、そして自分を満足させていく。
その満足感は次第に安心感に変わり、『いま、自分は頑張れてるんだ』と思い込むようになる。
そも、そもそも何に対して『頑張れている』のか?
その頑張りは、当初の計画とズレていないのか?
その時の私は、そんなことは考えもしなかったようだ。
私は現在、自動車関連の仕事をしている。
自動車の販売営業、買取査定、オークション出品や仕入れ、自動車整備、ボディコーティング、カーリース、自動車保険、統括業務、キャンピングカー整備、そしてプロドライバー。
転職は繰り返してきたが、一貫して自動車関連だ。
幸いなことに、私にとって『好きな仕事』である。
もちろん嫌なことは数えればキリがない。
でも同じ数だけ乗り越えてきた。
それができなのは、やはり好きだったからだと思う。
その証拠に、休みの日も例外なく毎日自家用車のハンドルを握る。
趣味はドライブだ。
実は大学生の頃から数え、車に乗らない日なんか殆どない。
それが、法学部法律学科を卒業した私の今の姿である。
憧れは、他人の人生だと思う。
でも好きや嫌いは、自分の人生だ。
学生でいられる時間は、人生のごく一部。
大半を過ごす職場を、いかに生きるのか?
好きでいられるのか?
それとも嫌いを我慢するのか?
少なくとも私は、チグハグではあったが幸福な方だろうと思う。
でももう少し早く、憧れではなく好きになれる事が見つかっていたら。
そう思うのは、ただのワガママなのだろうか?
これから未来ある若者へ。
これは私の勝手な経験論である。
仕事は嫌いなことより、好きな事を選んだ方が幸せだと、やはり私は思う。
そもそも仕事は遊びではないので、嫌いなものなのだ。
では嫌いなものに、わざわざ嫌いなジャンルを選ぶ必要性があるのだろうか?
嫌いな事を、嫌いな仕事にして人生の大半を過ごすのは、あまりにもハードな生き方ではないだろうか?
それであれば好きな事を、嫌いな仕事にした方が継続できるし能力も発揮できると思う。
ただし好きなことを仕事にできる人は少ないかもしれない。
前述の通り、私は随分と遠回りをしたように思う。
でももし今、あなたの中で好きなことが具体的にあり、今後もやり続けたいと思うのであれば、その可能性は諦めるべきでなないと思う。
できる・できないの話は別だ。
やるか・やらないか。
計画し実行するか、それともしないで終わるのか。
やれば、実行すれば厳しい道のりかもしれない。
でもやらなければ、絶対に手にすることはない。
今日実行すれば、「1」という実勢が得られる。
明日実行すれば、実勢は「2」になる。
それが好きな事であれば、きっと継続できるのではないだろうか。
「100」を目指し「1000」を目指し、気づいたときには、あなたは自分の理想を手にするでしょう。
だから早く『好きな事』を見つけて。
そして『好きな事』を計画し実行して。
実行に早いも遅いもないと思う。
あるのは『好きなことをやる覚悟がある』かどうかだ。